四十九日法要
昨夜の願いもむなしく、結局夫は、夢に出てきてくれないまま
四十九日法要を迎えた。
こんな日でも、夫は
会いに来てくれないんだなぁ。。
人生で、初めて出席する四十九日法要が、喪主で…なんて
考えたことなかった(・_・、)。。。
人生初の喪主としての法要は、とにかくバタバタで。
今日は、夫や従兄弟たちが信仰しているお堂の、お参りの日。
当然、従兄弟たち(3人)は、お堂のお参りが優先だから
そちらが終わり次第、来てくれることになった。
何とか2人は、法要が終わる前に間に合ったけど
1人だけは、間に合わず
法要が終わって、しばらく経ってから、来てくれたr(^ω^*)))
たぶん、夫も、私のそばじゃなくて
従兄弟たちと一緒に、大好きなお堂へ行ってたんだろう…と思う。
夫のための法要なのに…ね(´ω`;)
お堂の話↓↓
小心者の私は、緊張するとすぐ手が震える。
それが恥ずかしくて、人の目がある所が苦手だった。
ずっと引きこもっていた間も、変わらなかった。
だけど、夫が入院してからは
震えていても、やらなくちゃいけないことが、てんこ盛りで。。
夫が亡くなったあとも
葬儀や手続きなど、たくさん人前に出て、頑張ってきた。
だけど、全然、慣れない。
今日もやっぱり、ひどく緊張して
手が震えて。。
知った顔ばかりなのに。。
なるべく気付かれないよう頑張ったけど、お茶出しは苦手だよぉ(;ω;)
全然、変わっていない。
少しも強くなっていなかった。。
また、元に戻っていってる感じがする。
ただ、今日の49日法要に来てくれた、夫の従姉(60歳)が
僧侶に、お茶とお菓子を出してくれたんだけど
その位置が逆で。。
それを見たら、少し安心したε-(´∀`*)ホッ
何でも知っていて、何でも出来る人だと思っていたから。
社交的で、冠婚葬祭などの経験が豊富な人でも、間違えることがあるんだなって
ちょっと安心できた。。
もう甘えは許されない…
バタバタしたけど、なんとか皆さんを見送り、無事に終わった…と思ったら
義弟が、私に、義母の妹さんを「送ったって」と言ってきた。
知らない人と知らない道を運転していくのは、今の私には不安だったから
「道も分からないし、下手な運転でそちらの親族に何かあったら怖い」
と言ってみたけど、義弟に通じる訳もなく。。
「今から運転して、道覚えたらええやんか。運転せな慣れへんやろ」と。
…ごもっともなんだけどね。
これが常識なんだろう。。
夫のために来てくれたんだから、私が送っていくのが礼儀なのか。。
今、自分の夫の四十九日法要を終えたばかりで、身も心もヘトヘトなのにな…
甘えているのかな…私。
甘ったれすぎか…私。
なんにせよ、義弟は相変わらず、苦手だなぁ(TωT)
でもこれからは、こういうのが当たり前になっていくんだろうな…きっと。
今までが優しすぎたんだね。
守られて、気遣われて、それが当たり前になっていたんだね。
夫のいない、これから先は、もう甘えは許されないんだ。。
車の中で、義母の妹さんに
「私は、あんたみたいに気丈にはなれへんわ。独りなんて耐えられん」
と、言われた。。
その場では「私も同じですよ」と、笑顔で答えていたけれど
本音は。。
心の叫び
私は全然、気丈じゃないよ。
たぶん、イラつかれるほど、弱い人間だよ。
それを唯一、知っている夫がいなくなって。。
私だって独りなんて耐えられないよ。
耐えられなくても、それ以外どうしようもなくて、逃げ場もなくて。
本当に耐えられないなら、死んで追いかけるしかないんだよ。
私は、その手前で、踏ん張っているだけ。
母が、義母が、生きている限りは
死にたくなっても、踏ん張って、踏みとどまっているだけ。。
死にたいのなら、そのあと逝けばいい。。
どれだけ経っても
心も身体も
ずっと悲鳴をあげ続けている。
ひとりになってから、心がずっと、叫び続けている。
言葉にならない叫びを、ずっと。
言葉の代わりに、毎日泣いて
声を出して、泣いて。
時間も、場所も、状況も、関係なく
涙がでてきて。
胸がひたすら苦しくて、なぜか体が震えて。
戻りたい。
甘えたい。
抱きつきたいよ。
きついよ。
これからもずっと、ひとりなんだね。
これからもずっと、ずっと…
ホント、しんどいね。
帰りの車の中で号泣。
声を出して、大号泣しながら帰ってきた。
ひとりきりの家に。
泣きながら、引き出物を片付けて
泣きながら、お風呂に入って…
夜になっても、夫の気配は感じられず…
もう私のそばには、いてくれないのかな。。
息苦しいよ。。。