弟を亡くした幼い頃の記憶と思い出話…

寂しげな黒猫の子猫

幼い頃の話

今日は40年前に亡くなった弟の命日。

 

私が6歳で弟が4歳。

私が幼稚園に通っていたとき、弟が入院した。

初めは近くの病院に入院したが、その後、大学病院へと移った。

脳腫瘍だった。

 

母親は病院に泊まり込み

父親は仕事と病院への行き来のため

私は隣県に住む母方の祖母のもとへ預けられた。

 

たまに祖母が2時間かけて、病院へ連れて行ってくれたが

電車の中からとてもよく見える病院で。

行きは

病院が見えてくると嬉しくてしょうがなくてヽ(´▽`)/

だけど帰りは

電車から離れていく病院を見るのがとてもつらくて(・_・、)。。。

いつも電車の中で大泣きしてしまい、祖母を困らせてた…

 

そんな生活を半年くらい続け、春になり私は小学校へ入学。

地元の学校へ通うため、祖母のもとから親戚の家に移った。

この親戚には私と同じ年の子がいたが、家族同士あまり仲は良くなく

今でもここでの生活は、私にとって苦しい思い出となっている。

あとで聞いた話だが

私をこの親戚のもとに預けることに、祖母は反対していたらしい。

もっと強く反対してほしかったよ、おばあちゃん。。

でもありがとう(^ω^)

大家族の親戚に預けられ…

この親戚は大家族で、子供9人と両親の11人家族。

その中にいきなりひとりで入れられ、地味に意地悪されて

毎日隠れて泣いていた。。

ご飯は各自セルフで、でも誰も何も教えてくれなくて

茶碗も箸もなくて、無視されて…

6歳の私にはきつかったなぁ。

 

寝るときも…

私の身長では届かない、押し入れの一番上の布団を

自分で取って、ひけと言われて。。

たけど、どうしても布団が取れなくて。

でも「早くして」「グズ」とか毎日言われて…

ホントつらかった(・_・、)

 

学校から帰ると、自分の家の押し入れに隠れて

毎日泣いてた。

たぶん、この頃の記憶が

引きこもりへの発端になってるんだと思う。

この頃は、ずっと息をひそめて

ただ目立たないように、目立たないようにしてた。

 

あとになってから

大家族ゆえに、私のことが羨ましかったと聞いた。

私は弟と両親の4人家族で

買ってもらった服を着てたり、皆で出かけたり。

 

だけど従姉妹たちは、姉妹が多いから

服もお下がりで、新しいものは着られず

皆で出かけることも、ほとんどない。

 

だから、私のことが

妬ましくて、大嫌いだったと。。

理由はどうであれ、6歳のガキんちょが

他人の家でひとり意地悪され、ムシされ続けるのは

メチャクチャつらかったよ(;ω;)

弟を亡くした日

そして40年前の今日…

授業中の教室に、慌てて入ってきた先生から

「今すぐ帰りなさい」と言われ

子供心に、ただならぬ雰囲気を感じて

半べそかきながら、走って家に帰った。

家に帰ると祖母が待っていて、何も説明されないまま

「病院へ行くよ」とだけ告げられ、そのまま急いで病院へ。

訳は分からなかったが、電車の中、祖母とは一言も話さず

ずっと胸がドキドキして、緊張していた記憶だけが残っている。

 

病室へ行くと両親がいて、頭に包帯を巻いた弟がいて。

いつものように弟に駆け寄り

「しんちゃん、来たよ」と、肩をたたきながら言うと

「だんち(団子)食べたい」とこちらを向いて弟が言う。

 

頭に包帯を巻かれてからは

ずっと「あ~あ~」しか言えなかったから

その場にいた全員がビックリしていた。

 

弟は団子が大好きで

母親と3人で朝市に出かけては、団子を買ってもらって

2人で神社の階段に座って食べていた。

だからそれを聞いたおばあちゃんが

「団子買ってくるから待っとってね」と私の手を引き

駅前にあった団子屋さんへ。

 

急いで買って戻ると 

病室に人が出入りしていて、入れてもらえない。

隣の病室のおばちゃんが、私を抱き寄せ

何かを見せないようにして、泣いている。

 

見えないけど…

母親が、狂ったように何か叫んでて

こわかった。

子供心に、ただならぬ気配を感じて

おばちゃんにしがみついて、泣いていた。

 

少し落ちついてから、おばちゃんが

「しんちゃんはあんたが来るまで待ってたんや。けど死ぬとこ見せたなかったんやろな。しんちゃん死んじゃったの、わかる?」

と、泣きながら笑顔を作って教えてくれた。

 

たぶんこのときは、死というものをよく分かっていない。

だけど周りの大人たちの、異常な雰囲気を感じ取って

泣いていたんだと思う。

 

この記憶も長い年月の間に、変換されてるかもしれないけれど

周りからも繰り返し聞かされていたから、今も鮮明に覚えている。

 

きっと一生忘れないだろう。。

弟のお葬式で聞いた言葉

そして幼い弟のお葬式。

近所のおばちゃん、おばあさんたちがヒソヒソと、私の前で

「男の子の方を亡くすなんて可哀想にね。まだ逆やったら…」

と言いかけて、私を見て口を抑えた。

 

田舎で、40年前の話だから

まだそんな考えが根強かったのか

この人たちが非常識なのか分からないけど

案外、子供って理解できるんだよね。

大人の言葉を。

「あぁ、私が逝けば良かったんだ。ごめんなさい」って

私が残っちゃった罪悪感が、このときからずっと消えない。

今も。

弟の代わりに私が逝けば良かった

夫の代わりに私が逝けば良かったって。

 

何で私ばっか残されるんだろう。

夫は、この話知ってるのに

残されるつらさ訴えてきたのに

それでもまた残されちゃった。

ホント何でなんだろう。。

新たな弟の存在

このあと1年も経たず、翌3月には新たな弟が生まれ

周りも両親も「しんちゃんの生まれ変わりだ」と喜んでいたが

私は、私の本音は、ものすごくイヤだった。

だって「全然しんちゃんじゃないもん」(;ω;)

周りの反応を見て

もうしんちゃんはいらないの?って、思っていた。

 

両親は、しんちゃんを亡くした反動で、この弟のことを溺愛し

私のことは、手のかからない、ほっといても大丈夫な子扱いになり

6歳の私の人生は、しんちゃんがいた頃とは激変してしまった。

 

もうこの頃から親や大人に甘える子供らしさは

無くしてしまった…のかな(´ω`;)

子供らしいフリをし、学校でも表面上は皆に合わせて。

でも本当の私はすごく冷めた子供で

何にも興味をもたない、すべてに無関心な子供だった。

 

今、思うと

そうやって自分の心を守ってたのかな。。

弟と両親を見て、自分が傷付かないように。

寂しさに、孤独さに気がつかないように。。

 

甘やかされた弟は、そのまま予想通りな大人へとなっていき

両親を困らせている。

 

 

亡くした弟は、おとなしくて賢くて、団子が大好きな子で。

いつも二人でひっついて遊んでたなぁ(^ω^)

お出かけするよって言うと、玄関に皆の靴を並べて待ってるの。

ものすごく可愛くて良い子だったから

きっとすぐに生まれ変わって

どこかで幸せに暮らしてるって、信じてる。

ひょっとしたら

知らずにどこかで会ってるかもしれないね。

そうだったら、うれしいな。。

 

またいつか会いたいな。

会えたらいいね。しんちゃん。

たった4年だけど、私と一緒にいてくれてありがとう。

ずっと、忘れないよ。

大好き。しんちゃん。

  

どうかすべての人が、穏やかに安心してすごせますように(-人-〃)祈

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