腹膜偽粘液腫の疑い?
夫はこの日
いつものように自分の車に乗り込み、私を助手席に乗せて
いつも通り帰ってくる気満々で、近くの総合医療センターへ行った。
でもこれが、夫の最後の運転となった。
病院についてから受付まで、夫は自分の足で歩き(ヨタヨタだけど)
順番を待っている間も、普通に話していたのに。。
「検査しますので奥さんは待っていてください」と夫だけが診察室に入り、私は待合室で待っていると
急に看護師の方たちがバタバタとし始め、車いすに乗せられた夫と看護師の姿が。
慌てて駆け寄ると「検査のため移動しますので一緒に来てください」と。
なぜか周りが一瞬ざわつき
私も一気に胸がバクバクしてきて、ずっと震えが止まらなかった。。
そして、人のあまりいない階に行き、いくつかの部屋へ移動して検査を受けた。
このとき説明は受けていたと思うが、何も覚えていない。
当時の記憶は、もうどこかへ飛んじゃって、窓の外の景色しか思い出せない。。
夫を待っている間、震えながら見ていた景色だけは、なぜかずっと覚えている。。
そして、夫の車いす姿を見たとたん…
夫が本当の病人になっちゃったって、絶望したことも。。
誰もいなくなった、薄暗いフロアでふたり、無言でポツンと座っていたときの光景も。
はっきりと覚えている。
きっと忘れない。
忘れられない。。
それから診察室に呼ばれ「腹膜偽粘液腫の疑いがある」と告げられた。
初めて聞く病名…
それが深刻な事態なのか
治るものなのかも分からず
どう反応していいか分からずに固まっていると
腹膜偽粘液腫は
「世界中でも患者数が少なく原因も不明で、治療法も治療薬も確立しておらず、完治が難しい病気」だと説明された。
また、難病認定もされていない希少疾患で先生も実際に診たのは初めてだと。。
そして
今の(夫の)現状では治せないと言われた…
未知の病だから…
腹膜偽粘液腫は、お腹の中にゼリー状の粘液が大量に溜まっていく病気で
臓器を圧迫するだけでなく、腸閉塞をともない栄養失調などで、死に至ることもあるそう。
腹膜偽粘液腫ってどんな病気?↓↓
夫のことも
主治医から「今の段階では治療法はなく、弱っていくのをできるだけ遅らせるくらいのことしかできない」と言われた。
だけど
未知の病だから、分からないことが多い…
ゆっくり進行して、長く生きられるかもしれない…
点滴だけで長く生きている人もいる…
と、慰めるように優しく話してくれた。
ありがとう。先生。
なんで、よりによって
こんな変わった病気になっちゃったんだろう、夫は…
ホントに…もう…(・_・、)。。。
入院生活が始まった~少し私の話~
その日から入院生活を余儀なくされて
夫は、車で来たからいったん帰ると散々、駄々をこねていたけれど
家に帰ると、また病院へ行かなくなる可能性が大なので(苦笑)許可されず。
面会時間終了まで一緒にいて、私だけ帰ることになった。
万が一のときに私が1人でも通えるように、電車で通える病院にしてもらっといてよかった。。
私も車の免許は一応持っているが、免許を取って1年くらい運転して、どうも自分には向いてないなと
その後は、ずっとペーパードライバーだった。
だから、おおよそ24~5年くらいは、まともに運転してなくて。
いきなり夫の車を運転して帰るなんて絶対ムリ…
と、いうか
病院の駐車場から出ることすら、ままならないと思う(´ω`;)
25年ぶりに運転した話↓↓
病院からの帰り道
駅までの道中は、これからどうしていったらいいのか
頭の中ぐるぐるで…
今、頼れる人もいない…
今まで何もかも夫に任せてきた引きこもり主婦は
この日の帰り道
1人で電車に乗るのも怖くて、乗り方も分からなくて、泣き止むこともできなくて…
結局、迷いに迷って、駅にいたタクシーで帰った。
ヘタれな私は
タクシーに乗るのも怖くて、緊張して
いざ声をかけるまで、かなりの時間を要したのだった(情けない…)(-ω-; )ハァ…
この日から
十何年も引きこもりだった主婦生活が一変。
夫に守られていた平和な生活が、終わりを告げた日だった。